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| 吉祥三尺棒 | 三尺坊権現 |
| 吉祥三尺棒」(きっしょうさんじゃくぼう)の歴史的背景 圓明院の開創は鎌倉時代の初期と伝えられ、当時この地域にあり、関東第一と言われた「入定寺」の末寺の一つであったと考えられます。 三尺坊権現は、今からおよそ1300年前に出現されたとする日本唯一の「火坊権現」で、平安時代には当山東方に位置する船塚山に勧請されたました。 その後 時は下りまして、享保4年(己亥「つちのとい」)(西暦1719年)に船塚山々頂より秋葉三尺坊権現を当山境内に勧請(かんじょう)し、一千座の護摩を修することで、その威徳を世に広めました。*(勧請とは、佛さまや神さまを招き迎えること) 権現様をもっと身近にお祀りするために「三尺棒権現のご分身」として「三尺の棒」を祈願し信者の方々に貸与し、年に一度交換する方法を勧め、また、樹齢一千年とも伝わるかやの実を「福種」として授けるなど、当山独自の参拝形態により多くの参詣者を集めました。 その後明治初年の神仏分離令により、権現の社(やしろ)は秋葉神社となり、廃仏毀釈の波は当山の興隆に大きな波紋を投げかけました。 古来よりの参拝方法は、時代と共に行われることが無くなり、今では、その独特な参拝方法でさえ忘れ去られようとしております。 権現の信仰は、近隣の信者の方々の支えにより、かろうじて支えられて参りました。 さて、本年平成19年(丁亥「ひのとい」)は、江戸中期当山に権現が勧請されてより、288年経た亥年(いどし)であり、「水剋火=水は火を消す」の年であります 三尺坊権現のご誓願に 「我を信ずる者は、身と心の火を滅す」とあります。 これは、権現さまを信仰する者は、「身に降りかかる災難」「心に降りかかる苦難」を悉く滅して下さるとのご誓願でございます。 多くの方々は、この権現様の特異なお姿を拝することによりご利益が、甚大であることを想像できます。 この権現様のお姿は不動明王を中心とした、五相合体の (五つの神仏の合わさった)お姿で、様々な悩みの方を お救い下さると伝えられております。 当山では、平成19年亥年(いどし)を「権現のご利益宣布の年」と定め古来より行われていた「吉祥三尺棒貸与の儀」と「福種」(ふくしゅ)のお授けを後世に継承すべく古式に則り、復活することと致しました。 ![]() イベント開催について 大晦日(12月31日)除夜の鐘の終了後(午前0時より)「吉祥三尺棒」の交換の祈祷会をおこないます。当日は、甘酒やけんちん汁等の接待と豪華賞品抽選会などのイベントが開催されます。 なお抽選会参加権につきましては「吉祥三尺棒」貸与者のみとなりますのでご注意下さい。 ---------- 豆知識 ------------ 三尺坊権現 (さんじゃくぼうごんげん) 観音菩薩の垂迹(すいじゃく)<仮のお姿でこの世に出現すること>として信州に生まれ、越後国蔵王堂の三尺坊で修行して、飛行自在の神通力により、白狐に乗って秋葉山へ飛来したとされる。 徳川氏が秋葉寺の本寺である「可睡斎」(かすいさい)を崇敬した影響で、近世以降、東海・相模・江戸を中心に庶民の信仰を集めた。 明治初年の神仏分離令により、秋葉寺の秋葉三尺坊大権現は曹洞宗大本山「可睡斎」に移された。 そのため、秋葉信仰の本山は静岡県浜松市春野町の神道の「秋葉神社」と、仏教の静岡県袋井市の「可睡斎」に分かれている。 ![]() 三尺棒貸与 (「三尺坊権現」のご分身が「三尺の棒」) 江戸時代圓明院の「奥の院」として勧請された三尺坊権現のご利益を宣布するために考案された特別な参拝で、 ご祈祷された三尺の棒(三尺坊権現のご分身)を一年間家にお祀りし、お礼参りの時に「三尺の棒」を一本添えて二本にして奉納するユニークな参拝形式。 三尺坊権現をお祀りする社寺は全国各地にありますが、圓明院だけの特異な形式であると考えられます。 「福 種」(ふくしゅ) 江戸時代より、樹齢千年とも伝えられる当山の「かやの実」をお守り袋に入れ、ご祈祷したものを「福種」として参詣の信者に授けておりました。「福種」のお守りは、家にありては、その年の恵方である 「歳徳神」の方角の地中に埋めると一年間の「家内安全」「厄除招福」また、懐中すれば、「延命長寿」に御利益があるといわれております。 |