随縁真如
2025年11月04日
山の木々が風にそよぐように、人の心もまた、さまざまな縁に揺れ動く。
縁とは、私たちの意思の外にあるようでいて、実は心そのものの現れである。誰かに出会い、ある出来事に遭い、ある言葉に触れる。その一つひとつが、心の鏡に映じて世界を形づくる。
随縁真如とは、その縁に逆らわず、しかも縁に流されない生き方をいう。
流されないとは、心を硬くすることではない。水が器の形に従うように、心を柔らかくして縁に随う。しかし、その水の澄みを失わぬよう、静かに自らを保つ。そこに「真如」、つまり変わらぬ真実の姿がある。
縁を覚るとは、縁の中に真如を観ることだ。
善き縁も、悪しき縁も、すべてが仏の導きであり、己の学びの場であると気づくとき、心は広がり、苦しみは智恵に変わる。
今日の風も、声も、出会う人も、すべては縁。
その一つひとつを味わいながら、真如の心に生きたい。
そうすれば、たとえ世の流れが激しくとも、心はいつも穏やかに、空のように澄みわたる。