圓明院
【よもやま】仏と神の争い
2020年09月14日

 現代の日本人の多くは、八百万の神と八万四千の仏(八万四千の法門)は別であると思っていますが、実はこの考え方が植えつけられたのは、今からおよそ150年前の慶応4年(1868年)に発せられた太政官布告(通称「神仏分離令」「神仏判然令」)の明治新政府の仏教と神道を分ける政策を取ったことによります。

 古来よりの日本人の信仰は、神も仏も一緒で、一木一草の中に仏や神が宿ると信じられてきました。大きな樹を見ては手を合わせ大きな岩を見ては崇めたのです。

 平安時代以降多くの仏像が、木で造られたのも、木には神仏が宿るという信仰が根付いていたことに起因するそうです。
 仏教伝来以後、日本の中において仏教と神道(曽我・物部)の争いありましたが、平安時代(794年~1185年)には、弘法大師の神仏習合思想により、神と仏は一緒という信仰が定着しました。

 日本人は、江戸末期までおよそ1000年間、本来仏も神も一緒(一木一草に神仏が宿る)という信仰を培ってきました。すべてのものに神仏が宿るということは、すべてのものが尊く、互いに生かしあっていることです。

「重々帝網なるを即身と名づく」–『即身成仏義』–(縁なくして存在するものは無く、縁を生じないまま消滅するものも無い。)智山派ホームページより

 一神教の神様は、いつも争っていると同時に国家も争っています。日本の神様は八百万(やおよろず)居られても争いごとは好まないのです。また、仏も八万四千の法門を説かれても争いごとは好まないのです。

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