日本人は、欧米社会から理解しがたいだろうが、その多くが仏教徒であり、神道の信者なのです。古来日本では、魂が肉体に宿り、離れていく生と死の循環の中で大事な儀式を神道に委ねてきました。しかし、仏教が入ってくると魂をあの世に送り出す儀式つまり葬式や浮かばれない魂やこの世に執着する怨念などの供養や鎮魂を仏教に委ね魂をこの世に迎え生活する儀式を神道に委ねることとなりました。端的にいえば元々神道の儀式であったものを仏教が横取りしたのです。
仏教が、入って来てしばらくは仏教で葬儀は行われませんでした。現在でも南都仏教の諸宗派では葬儀を行わないというのです。
仏教が、葬儀を担うようになったのは、平安期に入って真言宗や天台宗の頃よりです。怨霊退散 鎮護国家のご祈祷が盛んに行われ鎌倉期には浄土教が入ってくるとたちまち魂をあの世に送り出す儀式は仏教の役割ということが定着するのです。
しかし、仏教は神道の残されたこの世の儀式まで奪うことはなく1000年の時が流れるのです。
日本において、仏教と神道は藤原期に一度争いを起こしますが、平安期には神仏習合思想により収束し、江戸時代を経て幕末期に再燃するのです。
現代では、誕生から七五三成人式等の生の儀式は神道で葬式は仏教で行う習慣は、日本では当然のこととして行われているのです。
葬式仏教と非難され、仏教の真のありかたを問われて久しくなりますが、確かに仏教寺院の多くが、葬儀を中心に収入の糧を得ている現状を鑑みるといかがなものなのかという意見はもっともですが、仏教が葬儀に重点をおいてきた歴史的背景やその時代において重要な役割を果たしてきたことは確かなのです。
仏教は、日本人の心の中に奥深く浸透しております。「袖振り合うも他生の縁」「有難い」などの多くの心情はすべて仏教の教えからおこるものです
最後に仏壇と神棚がある日本人の信仰は欧米社会から理解しがたいでしょうが、確固たる日本人の信仰なのです。