【よもやま】吉田松陰の生死観–紹介–
2020年10月04日
留魂録 第八節(現代語訳)
身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも留め置かまし大和魂
人の寿命には定まりがない。農事が四季を巡って営まれるようなものではないのだ。
人間にもそれに相応しい春夏秋冬があると言えるだろう。十歳にして死ぬものには、その十歳の中に自ずから四季がある。
二十歳には自ずから二十歳の四季が、三十歳には自ずから三十歳の四季が、五十、百歳にも自ずから四季がある。
十歳をもって短いというのは、夏蝉を長生の霊木にしようと願うことだ。
百歳をもって長いというのは、霊椿を蝉にしようとするような事で、いずれも天寿に達することにはならない。
(参考文献:古川薫著「吉田松陰 留魂録」)
天寿を全うするということは、長生きをすれば全うすることができるわけではない。