【よもやま】一遍上人-ただ愚かなる者の心
2020年12月01日
一遍上人語録より
念仏の行者は、智慧をも愚痴をも捨、善悪の境界もすて、貴賤高下の道理もすて、地獄を恐るる心をもすて、極楽を願う心をもすて、又諸宗の悟りもすて、一切の事をすてて申す念仏こそ、弥陀超世の本願にもっともかなひ候へ。
仏もなく我もなく、まして此内に兎角の道理もなし、善悪の境界、皆浄土なり。
外に求むべからず、厭うべからず。よろず生きとし生けるもの、山河草木、ふく風たつ波の音までも、念仏ならずということなし
【 現代語訳 】
念仏の行者は、知恵も愚痴も、善悪の境地も、貴賤高下の道理も、地獄を恐れたり、極楽を願うたりする心も、悟りも、すべて捨てて申す念仏というものが、阿弥陀仏の本願に一番かのうものである。この心を心として声高らかに称名すれば、この世が浄土である。宇宙すべてのものは仏と一体になり、念仏をとなえているのである。
『一遍上人語録 捨て果てて』坂村真民 より
最後に「ただ愚なる者の心に立ちかへりて念仏したまふべし。南無阿弥陀仏」
となっています。
こんな一時を過ごせる場所も必要ですね。何もかも考えることもなく一心になれる環境を提供できるように工夫してみたいと考えています。
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