散骨とは
一般には故人のご遺体を火葬した後、ご遺骨を粉状にして海や空、山中などにまく葬礼の方法です。近年お墓にご遺骨を納めるのが当たり前という固定概念が薄れ、人間が生まれた本来の場所である自然に還りたいと考える人が増加した結果、海洋散骨などの自然葬は新しい葬送の姿として人気が出ています。
しかし日本では、埋葬等を行う場合の手続に関わる法律が定められており、海や空で行われる散骨は問題となることはほとんどありませんが、港湾や漁場、民家周辺、分量によっては周辺住民等との間でトラブルとなることもありますので注意が必要です。
遺骨の散骨
すべてを自然に帰す ~散骨~
また、安易に遺骨の全てを海や山に散骨し、手を合わせる場所を失ってしまいがちなことは、誠に残念なことです。
山や海に手を合わせることも出来ますが、もっと身近な礼拝対象が必要だと思います。亡き人と対面する場所を設け、感謝の念を手向ける行為は、人として大きな意味を持ち、心の古里を訪ねる大事なひとときです。お手元供養が人気を集めているのも、身近で見まもっていただきたいという強い思いがあるからでしょう。
遺骨すべてを散骨せず、安価で管理維持費もかからない観音様の見守る圓明院の瑠璃光殿に安置することをご提案いたします。(世界中どこからでもインターネットを利用して参拝できます)
心の肥料 ~信じる・ゆだねる~
「私は単身だから」とか「私は無宗教だから」と投げやりにものを言われる方がおります。単身であろうが無かろうが、子供があろうが無かろうが、無宗教だろうがこの世に生を受け天寿を全うした後は、一人で旅立たねば成りません。
できることなら生前に仏様とか神様とかと縁を結び、ある程度信仰心を深めて行くことがことが大事な事だと思います。人は、人生を振り返ると人知の及ばない大きな力や畏敬の念を抱かされる経験をしたことが誰しもあることと思います。臨終の間際の一筋の光明が必ず導いてくださることを信じきる事の出来る方が 旅立ちの際、少しでも心が軽いような気がするんですけれど。
キリストでも禅でも念仏でもお題目でもご真言でも素朴な信仰でも、信仰心を持つことは、大事なことです。