― 地獄はどこにある わが心の中にある ―
2025年12月07日

― 地獄はどこにある わが心の中にある ―
弘法大師『十住心論』第一に掲げられる「心外無法(しんげむほう)」とは、真理は心の外にはなく、すべては自分の心が映し出したものであるという教えである。私たちは日々、怒りや不安、嫉妬や恐れに心を支配されながら、「あの人が悪い」「世の中が理不尽だ」と外の世界に原因を求めてしまう。しかし大師は静かに問いかける。――その地獄は、本当に外にあるのだろうか、と。
地獄とは、燃え盛る炎や責め苦の世界だけを指すのではない。憎しみや執着、疑いに囚われ、自らの心が荒れ果てたとき、そこにすでに地獄は現れている。反対に、同じ景色、同じ出来事の中であっても、感謝と慈しみの心をもって向き合うなら、そこは極楽ともなる。世界は変わらずとも、心の向きが世界を変えるのである。
圓明院からの風景を眺め、大梵鐘の余韻に耳を澄ますとき、重なっていた思いがほどけ、安堵の光が静かに心へ差し込んでくる。音は外から響いてくるが、安らぎを感じるのは、ほかならぬ自分の心である。怒りの心で聞けば騒音となり、澄んだ心で聞けば仏の声ともなる。
心の内に何を見るのか。地獄を見るのも、光を見るのも、すべては自分次第である。**心外に法はなく、心のあり方がそのまま世界となる。**今日の一念を、どこへ向けて生きるのか――その選択の積み重ねが、私たちの人生の風景をつくっていくのであろう。