圓明院
生かされている
2026年01月13日


「生かされている」という感覚は、日本的価値観の根幹にある世界理解である。人はまず主体として行動する存在ではなく、自然、家族、社会、祖先、無数の縁に支えられて“存在させられている”という前提に立つ。この認識は、仏教の縁起思想や、稲作文化における共同体意識、目に見えないものへの畏敬と深く結びついている。努力や才能以前に、与えられている条件そのものへの感謝が生まれ、「おかげさま」「ありがたい」という言葉が日常語として根づいた。

一方、西洋文化では、人間は神によって創造された主体的存在、あるいは理性と意思をもつ自律的個人として捉えられる傾向が強い。「生かされている」に近い感覚は、キリスト教における「神の恩寵(グレース)」として存在するが、それは超越的な神と個人との一対一の関係に集約され、自然や他者との網の目のような相互依存としては捉えられにくい。

日本の「生かされている」は、上下関係や主従ではなく、縁の重なりの中に身を置くという感覚である。主体的に生きることは、その後に静かに立ち上がってくる姿勢なのである。

永代供養は君津市圓明院まで
 
荘厳な雰囲気の中での葬儀
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