黄泉がえりとは、まさしく黄泉の世界から帰ってくることを意味する言葉です。私たちの魂は、死の瞬間から肉体を離れあの世に行き親しかった人との再会を喜ぶのですが、あの世に行った魂は、またこの世にも戻ってくるというのです。あの世の滞在期間はどれくらいかと言いますと人によって異なり、良いことをした人は早く、悪いことをした人は遅いというのです。あの世の1日はこの世の1年位らしく、おおかたあの世に1ヶ月(この世の30年)位で戻ってくるらしいです。
古代の日本人は、当然ごとく魂の黄泉がえりを信じていました。あの世に行った魂が縁があるこの世の人の生命の誕生に伴い魂を宿すのです。
魂は、再生循環するという世界観を日本人は古代より抱いていますし、現代でもそのような世界観がよく理解できます。
有名な松尾芭蕉の「奥の細道」の冒頭の「月日は 百代の過客にして 行き交う年も また旅人なり」の歌ですが、梅原猛氏いわく、この歌は魂の循環の世界観を余すところなく表現しているというのです。
毎日昇り沈む太陽と月は、生死を繰り返す「魂の行き来」と同じで、人は太陽がよみがえる朝が来るとめざめ生の世界に入り、太陽が沈む夜が来ると寝て死の世界に入る。覚醒と睡眠の循環です。また春夏秋冬の「春の誕生」から「冬の死」1年もまた循環の魂の旅を表現しているというのです。
「死んだらおしまい」という言葉をよく耳にしますが、そのようなことはないのです。あの世とこの世を行き来し、冥土の土産にこの世の面白いことをあの世のご先祖様に報告し、時期が来たらまたこの世に「黄泉がえる」この循環を永遠に繰り返すのです。
「信ずれば救われる」のように何か信じる事が大事な心の肥やしです。
「今日 彼岸 菩提の種を 蒔く日かな」 種を蒔き水を与え良き環境に育てれば、必ず大輪の蓮華の花が咲くことでしょう