増一阿含経の中に「眼は色もって食(じき)となし、耳は声をもって食となす」ということばがあります。
眼の食物は色であり、耳の食物は声なのです。良いものを見たいとか、いい声を聞きたいとかいうのが、眼の楽しみであり、耳の楽しみなのです。
食物は、ただ口にだけ必要なものではなく、眼にも鼻にも耳にもそれぞれみんな食物が必要なのです。
おいしいものを食べれば、お腹も、心も満たされますし、心地よい音楽を聴けば心も安まることでしょう。
眼という機関を通して色を見て心で感じて、眼の世界ができあがっています。五感それぞれが眼耳鼻舌身の世界を作り上げているのです。
10月1日は、衣替えでした「衣替え手につく藍の匂いかな」という句は、新しい着物のさわり心地からくる爽やかな触感や藍染めの爽やかな匂いを表した身の世界と鼻の世界の心地よさを表現した句です。
さて仏教では、人が亡くなるとご焼香をしますが、この行いは「中有の衆生は、香をもって食とする」という経文の一説から来ています。中有の期間の身体は、ごく小さいため肉眼では見えないとされ、乾闥婆(けんだつば)とも呼ばれ、香りのみを食物とする霊的な存在だというのです。
ご焼香の数は宗派の違いやご住職の考えの違いによってそれぞれまちまちな回答がででいます。また、こんな事ではまづいということで、宗旨によって統一した見解をとろうというところもあります。
ご焼香の数にこだわる必要はないのですが、良い香を心を込めて手向けることに心がけることが重要です。数は仏教では、三界万霊だとか三世十方だとか三密だとか三という数字が多く見られます。それが理由か分かりませんが三回と説く方がいますし、心を込めて一回と説く方もいます。また、お仏壇にご飯やお茶をあげるのも、霊魂は匂いを食とするところからきています。
良い香をたくさん手向けたいといっても、十回などという行為は禁止です。