圓明院
【よもやま】慈悲と智慧
2020年10月12日

                   似たとはおろか瓜二つ

 見分けがつかないほど、よく似ている様子を「瓜二つ」といいますが、こ世の中に寸分違わぬ物などありません。(原子・素粒子レベルではなく)店先で同じ花瓶に見える物も細かく調べるとどこか違っているはずです。
十人十色といいますが、人間も顔の形の違いのみではく、心の性質も気質も千差万別です。したがって、病に応ずる薬がそれぞれあるように、人間の身の悩み、心の悶えを救う仏にもまたいろいろ変わった姿があるわけです。

         釈迦 阿弥陀 地蔵 薬師と変われども 同じ心の仏なりけり

 千差万別の人の姿に対して、千差万別の仏の姿がある(真言曼荼羅の世界)のですが、その仏の心は慈悲という精神であり、大慈大悲の心の顕われなのです。仏教では、盲目的な「愛」たとえば母牛が仔牛をして舐めるような愛ではなく、智慧に裏付けられた愛のことを「慈悲」といいます。慈悲と智慧は、二にして一だと説きます。
「同じ心の仏なりけり」といいますが、優しい顔立ちの観音様もいれば、恐ろしい顔をしたお不動様もいます。このお姿も私たちの悩みに対する愛(慈悲)のあらわれなのです。子供(衆生)に対する表現に厳しい愛の父親の姿もあれば、やさしく受け止めてくれる母親の愛があるが如くです。(昨今は真逆の場合も多いようですが・・)

       父は打ち 母は抱きて悲しめば かわる心と 子や思うらん

父の心も、母の心も、我が子を思う気持ちは一つなのです。仏教でいうところの慈悲とは、哲学的に裏付けられた無償の愛を説くのです。「父は打ち」は、心を鬼にして叱る姿も父の愛ですし、「母は抱きて悲し」は無言の母の愛なのです。どちらも同じ愛なのです。また、両者が兼ね備わった愛が仏教で説くところの「慈悲」なのです。

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