【よもやま】深般若波羅密多を行ずる時
2020年10月13日
「行深般若波羅蜜多時」は誰でも知っている般若心経の冒頭です。観音様が深般若波羅密多を行ずる時五蘊はすべて空であることを悟ったということを説いています。般若心経は有名なお経なので、多くの方が興味をお持ちな事でしょうから各自調べてみたらよいと思います。
さて、観音様が深い智慧の行を行って観たところ、この世の中の目に見える有形な物質と目に見えない無形な精神の集まりである五蘊はすべて「空なる状態」であるので、生ずるといっても新しく生まれるものでもなく、滅するといっても、すべて一切が無くなってしまうものでもない。汚いだとか、綺麗だとか、増えたとか、減ったとかというのは、個々の事物に囚われて、単に肉眼によって見る差別の偏見から来るものだというのです。
一切を心の眼で見れば、「不生不滅」「不垢不浄」「不増不減」であると説くのです。
「不生不滅」とは、生ずることもなく、滅することもないということで、他の語にいいかえると「生滅を滅しおわる」という意味です。生滅を滅するということは、輪廻転生から解脱することつまり悟りを得るということを説いたわけです。
要するに「生」に囚われ、「滅」に囚われる。このような「囚われの心」「執着の心」を離れることを説いたのです。
一切の心の解放は、執着の心を離れることから始まるわけです。道元禅師の「生を諦め、死を明らむるは、仏家一大事なり」生の本質を見つめ、死の本質を明らかにすることこそ、私たち個人がそれぞれの素晴らしい人生に気づく心の窓を開く鍵なのです。