【よもやま】高僧を訪ねて–「一日暮らし」
2020年10月18日
生受老人曰く
如何程の苦しみにても、一日と思へば堪へ易し。楽しみも亦、一日と思へばふけることもあるまじ。愚かなる者の、親に孝行せぬも、長いと思ふ故也。一日一日を思へば退屈はあるまじ。一日一日とつとむれば、百年千年もつとめやすし。何卒一生と思ふからたいそうなり。一生とは永い事と思へど、後の事やら翌日の事やら、一年乃至百年千年の事やら知る人あるまじ。死を限りと思へば、一生にはだまされやすし。」と。一大事と申すは、今日只今の心也。それをおろそかにして翌日あることなし。総ての人に.遠き事を思ひて謀ることあれども、的面の今を失うに心づかず。
訳
「また、どうせ一日だからと粗末に過ごしてしまってはもったいない。」
「どんなにつらいことでも、一日のことだと思えば耐えられるし、楽しみだって一日のことだと思えばそれに溺れることもない。」
「世の中に、親不孝する者がいるのだって、人生は長いからそのうち孝行すればいいなどと考え、つい甘え心をおこしてしまうからだ。」
「どんなことでも、一日一日と思って生きれば、百年でも千年でも仕事に精をだしやすいものだ。」
「人生で一番大切なことは、今日ただいまの自分の心なのだ。それをおろそかにして翌日などというものはない。」
「人は一年の計は元旦にあり。とか、来年は二年後にはとか色々考えるものだが、今ここににいる、この一刻の、この今をどう生きるか暮らすかを考えている人は少ない。」
世の中は今日より他はなかりけり
昨日は過ぎ去り死過し過去 明日は知られざる未来なのです。一期一会 一生一別 の真実