圓明院
【よもやま】ぶらずにらしゅうせよ—五代目菊五郎
2020年10月22日

中阿含経に「世の中は、今日より外はなかりけり」終わった昨日、まだ来ぬ明日、自分の意志でどうにかできるのは今だけなのです。

林 治先生の言葉ですが、「いつやるの? 今でしょ」のように、世の中は「今」しかないのです。

ある時黒田如水が太閤秀吉に「殿下はどのようにして、今日のような身分になられたか」その秘訣を尋ねたところ秀吉は別に立身出世の秘訣などないが、ただその「分」に安じて懸命に努力したまでだと言ったそうです。

「過去は追わず、未来を憂えず、その日の仕事を一生懸命やったまでじゃ」

草履取りは草履取り、足軽は足軽、侍大将は侍大将それぞれの「分」に安じて、その「分」を立派にやり遂げ、生かすことによって、足軽木下藤吉郎は、天下の太閤秀吉となったという話です。

「過去の因を知らんと浴せば、現在の果を見よ。未来の果を知らんと浴せば、現在の因を見よ」因縁果の道理のごとくまさしく現在は、過去の結果であり、未来の因であります。

過去の因によって生まれる現在の「苦果」「楽果」は因果応報の道理のごとく自らの行いによって自らが報いを受けているわけです。

よく「善因善果 悪因悪果」といいますが、これは間違いです。「善因楽果 悪因苦果」が正しい道理です。酒を飲み過ぎるという悪因は、翌日二日酔いになり嘔吐頭痛の苦果を得ますが、時が過ぎれば平常の身体にに戻ります。この喩えのように悪因は苦果を生み、善因は楽果を生みます。

「悪因悪果」ですと、悪因は悪果を生み、悪果は悪因となり悪果を生むといどうしようもない悪のスパイラルに落ち込む事になります。救いようのない未来(三世にわたり)を孕むことになります。

さて、未来の果は「現在の因を見よ」ですので、甘い果実か 苦い果実か、はたまたどんな果実ができるかは、今日次第と言うことですが、皆さんならどうしますか?

太閤秀吉は、「その日の仕事を一生懸命やったまでじゃ」といい五代目菊五郎が六代目を常に戒めた言葉は「ぶらずにらしゅうせよ」ということだそうです。

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