お戒名は、どの宗派の場合でも(宗派によっては戒名とは言わない)2文字が基本であります。3文字戒名や4文字戒名の場合もありますが希なことです。
さて、お戒名の始まりは、仏弟子として受戒したとき授かる名前から始まっています。人が亡くなり仏式で葬儀を行う上で、受戒し戒を授かり拝受する名前が「お戒名」というものです。
お戒名は、受戒して授かる名前ですので、いわば、仏弟子としての名前です。昔は俗名の一文字をお戒名の中に入れると言うことはありませんでしたが、時代とともに生前に由来のある実名の一字を入れて授けるようになりました。
古来よりしきたりであるお戒名には俗名を用いないという概念は時代とともに変化してきました。今では、俗名の一字を入れなければならないかのように常識化されています。
お戒名の基本は2文字ですが、全体としてそれを飾る文字に〇〇院(院号)とか△△(道号)大居士(位号)とか生前の徳を表す文字などが一緒に修飾されて出来上がっています。
院号は別として、道号 については、実字を用いるとか詳しく調べれば細部に至って取り決めがあるようですが、このしきたりも時代とともに変化しています。その中でも大きく変化しているのは葬儀自体のあり方です。
つい最近まで仏式で葬儀を行う場合は、戒名を授けるのが常識でしたが昨今では仏式葬儀なのに俗名で行う場合も増えております。昔はお通夜と葬儀は同等と見なされ、通夜は夜通し(朝まで)睡眠をとらず線香を絶やさず死出の旅路を見送る事を重要なこととして行っておりましたが、昨今では通夜は、儀式が終われば、斎場はものけのからとなり、夜通し線香を焚くどころか誰もいないこととなる場合が大変増えております。また、通夜なしで告別のみということも増えており、常識化されようとしております。
お戒名について私の全く個人的な見解で諸大徳にお叱りを得るかも知れませんが、お戒名は、その人となりを表現するものであり、俗名の一字を入れることにこだわることも無く、文字の配列は亡くなられた故人を偲びやすく、親しみのおけるような字配りを考慮すべきであると考えております。
古来よりお戒名は、故人の生前の身分や階級などにこだわり院号が付加されたり、大居士を授けたりしたしますが、本質的には、仏教の教えに対しての帰依の深さや主に浄罪の布施を通じて寺院の維持に貢献された事により授けられたものです。
しかし、現在では、そのような意味合いで授けられるものではなく、あくまでも故人を偲ぶ、故人を親しむ、私はそのお戒名を拝見したとき、「ああこんな人だったのかな」と思い浮かばれるような「お戒名」を授けることが最良と考えております。
お仏壇の中のお位牌を拝見しましても、どのような方か全く分からないお戒名がほとんどです。かろうじてお戒名の一文字の中に俗名の一文字が入っているといっても俗名を知らなければ何の意味も持たない事となりかねません。
これは、お戒名が、故人のお人柄を表そうとしたものではなく、生前の階級や身分(封建社会の中での)にこだわった結果です。
前記しましたが、これからのお戒名のあるべき姿は、あくまでも「故人を偲ぶ」「故人を親しむ」ことのできるお戒名が良いと考えております。古来のしきたりを踏襲することも大事ですが、その心を伝えることがより重要です。
通夜も葬儀も古来のしきたりを踏襲するどころか全く簡素化され、本来の心も失いがちです。
簡素化された中でありますが、日本人が大切にしてきた故人を偲ぶ心を失うことなく大切に護ってゆきたいものです。