圓明院
【よもやま】瓢水(ひょうすい)–江戸時代 歌人
2020年10月31日

       「浜までは海女も蓑(みの)着る時雨(しぐれ)かな」

    この歌は江戸時代の歌人俳人滝 瓢水(ひょうすい)の歌です。時雨は、主に秋から冬にかけて起こる、一時的に降ったり止んだりする雨のことですが、海に潜って漁をする海女さんでも、浜までは、雨に濡れて体を冷やさないように蓑を着るということを歌ったものです。

瓢水は豪商の家に生まれながらも風流に身を任せ一代で財産を使い果たし、名の通り水に浮かぶ瓢箪のごとく飄々と浮世を楽しんだ人です。その母の墓前で孝行できなかったことを悔やんで「さればとて石にふとんも着せられず」や没落して蔵を売った際には「蔵売って日あたりの善き牡丹かな」などの句を残しています。

私たちは、おぎゃーと母体から出た瞬間から、墓場への第一歩を踏み出したわけです。死は生によってくるわけですから生だけは楽しく死だけが悲しいという道理はないのですが、死というものは、どうしても悲しくて、暗くて、不安で、怖いイメージを持たれるものです。

人は、人生の目標を失ったとき死について考えるといわれています。死について考えるということは、自分の人生を振り返ることでもあり、余生のあり方を考える機会でもあります。

今世の中がご朱印ブームだそうです。寺社を参拝し心の癒やしを求めているいる方が増えているのかも知れません。圓明院では、少しでも皆さんの心の安らぎにお手伝いができるように少しずつ境内等の整備を進めています。住職を拝命して、すでに35年の歳月が過ぎました。35年前の寺とは見違えるほどの寺の景観になりましたが、まだまだこれからという気構えです。それは多くの方々が参拝に訪れれば訪れるほど増してくるのです。

人が抱く目標とは、達成したものであり、また、達成されないものでもあります。投げやりにならずにゆっくり休みながらでも、身体を労り、常に遠くを見つめ歩み続けることが肝要です。遠い目標も、歩めば少しずつ近づいてくるはずです。

      浜までは海女も蓑着る時雨かな

 

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