圓明院
【よもやま】鎌倉 祖師のお言葉
2020年11月02日

鎌倉時代は、仏教の革命期です。法然の開いた浄土宗では、知のない、徳のない凡夫、悪人でも女人でも口称念仏すれば往生できるという教えを説きました。今まで一般民衆は、極楽浄土へ行けるのは有徳な僧侶か金のある貴族に限られると思われていたのに彼は「南無阿弥陀仏」と唱えれば間違いなく極楽浄土へ行けるというのです。法然の教えはまたたく間に広まりを見せたのです。
その後同じく天台で学び山を下りた日蓮は、法然の説く「口称念仏」より易行である「南無妙法蓮華経」と称えることによって、念仏を称える以上のご利益を得られると力説するのです。

また、曹洞宗を開いた道元は日常生活を細かく規定し、修行僧には名利と愛欲を離れ、ひたすら修行すること命じています。道元は、山中に古仏の如く座禅をしていると一切の自己が脱落して、世界そのものが自己となるという神秘体験を得られるというのです。

鎌倉時代は、平安期の仏教とは全く異なり、多くの民衆に働きかけをし仏教がある意味庶民の生活の中に根付いた時期でもあります。また、この祖師の書かれた自ら説く教えの優位を主張するところに興味を惹かれるのです。

法然が「口称念仏」を説けば、日蓮は『立正安国論』の中で念仏は「無間地獄の業、禅宗は天魔の所依・・・」と非難し、道元は法然の念仏を「口声ひまなくせる、春の田の蛙の、昼夜になくが如し」と非難します。身体は滅びても心は不滅であるという説に対しては、「外道の見をかたる狂人の舌の響きを、耳にふるることなかれ」と説き、禅の悟りは、師につかず自証すればよいと諭しました。親鸞においては、肉食妻帯をする僧など様々なです。鎌倉期は仏教花盛りなのです。

それにしても、鎌倉の祖師は法然の口称念仏に対してはあまりのにもひどい仕打ちをしているような気がします。

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