圓明院
【よもやま】罫礙なし
2020年11月03日

罫礙(けいげ)とは、「さまたげ、こだわり、ひっかり」のような意味の言葉です。心経の後半に「心に罫礙なし」と何事にも囚われず、解放された心の状態を説いています。
仏教では欲は苦の根源であるので棄てなければならないと説きますが、ここで云う私たちを苦しめる欲とは、我欲のことを指しています。欲に駆られ自分のみの幸せを願うような心持ちをいうのです。この欲は、他人の犠牲を伴います。

このような「我利我利亡者」では、他人のことに思いをはせることなく、常に自分のことが中心で他人を羨み妬み世の中に不満の心で苦しむこととなるのです。

「罫礙なきが故に恐怖あることなし」と心経は続きます。何ことにも囚われない心であるので、憂いや心配ごとなどな無くなると続くのです。

施無畏(せむい)とは、恐れ無きを施すという言葉ですが、施無畏は一般的に観音をさす言葉です。「観自在菩薩 行深般若波羅多」観音様は「無畏」を施す仏様です。圓明院は、本堂脇には娑羅観音(しゃらかんのん)山門入っては、清瀧観音(きよたきかんのん)といつでも暖かく見守ってくださいます。

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