かわたれ時と大梵鐘
2025年11月25日
夜と朝が溶け合う“かわたれ時”の圓明院は、世界がいったん呼吸を止め、次の一歩を踏み出す準備をしているかのようです。境内に立つと、薄明の空からわずかに差し込む光が石畳を淡く照らし、木々の葉先に宿る露がひっそりと輝きます。その静寂を破るのは、大梵鐘の低く深い響きです。ひと振りの音が空へ立ち上がり、谷を渡り、田園を包み、やがて遠くに消えてゆく。その余韻は、まるで心の奥底に眠る迷いをやさしく撫でるように広がります。
仏教では、鐘の音は**煩悩を払い、心を澄ませる“智慧の響き”**と説かれます。闇から光へ移るこの時間帯は、まさに心の曇りが洗われやすい“縁”が整う瞬間です。大日如来の慈光が世界に満ちてゆくかのように、鐘の音は人々の心に静かな目覚めを促します。昨日の悩みも、今日の不安も、鐘の波紋の中では一度ふわりと解け、ただ「今ここ」に戻ることができるのです。
圓明院のかわたれ時の鐘は、単なる音ではありません。**一日の始まりに心を正し、己に立ち返る“道の起点”**です。その響きに耳を澄ませるたび、煩悩も迷いも、やがて光へ溶けてゆく。静寂に満ちたこの瞬間こそ、仏の教えがもっとも素直に息づく時間なのです。