圓明院
如実知自心
2025年11月27日

如実知自心とは「心をありのままに見る」という仏教の根本である。だが多くの場合、頭では理解できても、心が理解できずに苦しむ。怒らないようにしようと思うほど怒りが強まり、迷いを断とうとするほど迷いは深くなる。これは、心が“見られること”を怖がっているからだ。弱さや執着が露わになると痛みを伴うため、心は防衛し、隠れようとする。


音声 by 動画制作会社VIDWEB

仏教は「心を変えよ」とは言わない。まず“そのままを知れ”と説く。感情を善悪で裁くと、心はますます固く閉じる。大切なのは、怒りなら怒りのまま、寂しさなら寂しさのまま、ただ「今、こう感じている」と気づくことである。そこに否定も肯定もいらない。ただ観るだけでよい。

如実知自心の理解は、努力よりも“熟する時期”に左右される。落ち葉が自然に枝を離れるように、心の執着も、時が満ちると静かに形を変える。急いで悟ろうとするほど道は遠い。焦る必要はない。見たくない心にそっと灯りを当てる。それだけで、心の奥に沈む静かな智慧が、ゆっくりと目を覚まし始めるのである。

永代供養は君津市圓明院まで
 
荘厳な雰囲気の中での葬儀

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