圓明院
【よもやま】魂をあの世へ–火の神様–
2020年09月09日

 お盆の「迎え火」は魂をあの世から呼び寄せる火であり、「送り火」はあの世に送り返す火です。昼間でも、仏壇に火をつけるのも同様の意味合いがあります。火は私たち人間とあの世の魂との仲介者の役割を果たしています。仏教では、人があの世に旅立ちで最初に迎える仏が初七日の不動明王です。お不動様は、人の108もある煩悩をことごとく打ち砕くことから怨霊の鎮魂にいたるまで広いご利益をくれる仏です。背中には迦桜羅焔を背負っています。迦桜羅とは伝説上の鳥で、毒を持っている動物(毒蛇、悪龍)を食べるとされています。そして、その炎は毒を焼きつくすと言われています。迦桜羅焔は、人々にとっての毒である煩悩や欲望を燃やし尽くしてくれるのです。

火をあの世との仲介者として崇めるなかで、不動明王の存在は誠に頼もしい仏さまです。

 古代の日本人のあの世の世界観では、朝あの世の旅に立ち、その夕方には目的のあの世に家にたどり着くというのです。アイヌの散文説話には、家に着くと、ご先祖様が迎えに出られるのであるが、そこで手を握ったら二度と帰れないという。また「古事記」には、黄泉の国のものを食べると、もうこの世には帰れないという黄泉戸喫(よもへぐい)という言葉があるそうです。

 あの世の住人になりたくなかったら、ご先祖様としっかり手を握ったり、出されたご馳走を食べてはいけないということだそうです。しかし、もうそこまで行ってしまったら引き返す訳にもゆかないでしょう。あの世の住人となって楽しく過ごすことが一番でしょう。そこまで行って引き返した者は、あの世の玄関で門前払いを食うとかさぞかしこの世に未練がある人でしょうから、この世に戻ってさ迷うことになりかねないのです。

僧侶が、お通夜の作法の中で「引導を渡す」作法があります。僧侶が棺の前で死者が迷うことなく悟りが開けるよう、つまり死んだことを死者に理解させる法語を唱え、相手に諦めされるための作法です。「引導」を渡す作法も取らず、直葬する行為が横行している現代にはどのような「心の闇」が潜んでいるのでしょうか?

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荘厳な雰囲気の中で最後のお別れを
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