圓明院
【よもやま】鎮魂への願い—彼岸—
2020年09月11日

 あと1週間もすればお彼岸です。今年の彼岸の入りは9月19日(土)で昼の時間と夜の時間が同じになる中日を中心に前後3日の計7日間です。「彼岸」という言葉はインドサンスクリット語の「パーラミター」が語源であると言われています。「パーラミター」とは「完成する、成就する」という意味で、欲や煩悩、苦しみに満ちた輪廻の世界から解脱し、迷いのない悟りの境地に達することを意味します。

 お彼岸は、彼の岸(かのきし)つまり、此岸(このきし)の迷いの世界から見た悟りの世界のことを意味する言葉です。このように仏教色の説明に埋めつけされた彼岸ですが、実は彼岸の行事時は、インド中国にはなく日本独自のものなのです。
最初にはじめられたのは

   ——ウィキペディア–「彼岸」抜粋
 延暦25年(806年)、日本で初めて仏教行事としての彼岸会が行われた。『日本後紀』延暦25年(806年)2月条に、「毎年春分と秋分を中心とした前後7日間、「金剛般若波羅蜜多経」を崇道天皇(早良親王)のために転読させた」。そして3月17日に朝廷の太政官から「五畿内七道諸国」の、国分寺の僧に春分・秋分を中心とする7日間に金剛般若波羅蜜経を読ましむ命令が出ていて、これを命じた太政官符では以後恒例とするようにしていて、これが、後に彼岸会になった。
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 お彼岸は、桓武天皇の在位期間にはじめられました。一説には桓武天皇によって殺害された早良(さわら)天皇が怨霊となって祟り、桓武天皇に復讐したというのです。桓武天皇が崩御されたのが9月17日なので、その翌日の18日から7日間行われるようになったということです。
怨霊となる人の命日が9月18日前後や3月18日前後のものが多いことも指摘されています。小野小町(おののこまち)藤原景清(ふじわらのかげきよ)柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)など。

 お彼岸は、今では、仏教でいうところの六波羅蜜(ろっぱらみちつ)の仏道修行などの意味が付されていますが、本来は、怨霊鎮魂の重要な行事であったようです。
古代より日本人は、あの世とこの世の魂の行き来を重要と考えていました。ご先祖様が行き来するまたは、怨霊がご先祖様の霊と一緒にこの世に舞込み、この世の私たちに悪さをすることを恐れて多くの祭りや行事を行ってきました。

 お盆、お正月、春と秋のお彼岸の時期は、あの世とこの世を行き来する「ご先祖様の霊魂」にこの世の安寧を願いまた、これらと一緒に時より紛れ込む「怨霊」を「悪霊」を懇ろに供養する重要な時期なのです。

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荘厳な雰囲気の中で最後のお別れを
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